ビジョンを共有して、工夫や気づきを蓄積する―三重県立美術館
誰もが利用しやすい美術館であるためには?
「誰もが利用しやすい環境を整えます」という一文を、5つある活動指針のひとつとして掲げている三重県立美術館。どんな人が美術館を利用しづらいのか? と考えてみると、目を向けるべき先は障害の有無で線引きなどできなければ、コロナ禍などといった社会状況でも移り変わるものでもあるし、実に多様である。全ての対象にいっぺんに向き合うことは不可能なことでもある。三重県立美術館では、必要性を強く感じる対象から徐々に取り組みをスタートしている。一連の事業を企画・担当している教育普及担当の学芸員 鈴村麻里子さんに、三重県立美術館のアクセシビリティにおける取り組みのこれまでと、今後の課題を聞いた。
三重県立美術館のアクセシビリティに関する取り組みの特徴は、それぞれの障害の特性に合ったプログラムを丁寧に実施していることに加えて、乳幼児向けのプログラムを実施するなど、多方面に向けた取り組みがなされている点である。取り組みはどのようなことからスタートしたのだろうか。
鈴村 美術館は視覚芸術を扱っていますので、利用しづらい層としては、やはり視覚に障害のある方が最初に思い浮かびます。当館では2003年に所蔵品の鑑賞支援教材を開発した際、盲学校の先生に協力いただき、立体コピーや点字の解説なども開発していました。また、2015年度と2016年度には、知的障害のある児童が通う特別支援学校と連携事業を行う機会がありました。生徒さんの中には自閉傾向の方もいたので、来館前には先生に協力をしてもらい、「入り口ここですよ」「当日会う人は誰々さんでこんな人ですよ」と写真を載せて資料を作成してもらいましたが、それでも来られない人がいたり、部屋から出られない方がいたり。私自身がもっと勉強をして準備をしていれば、展示室に入れたかもしれないなと感じていて、その時に自閉スペクトラム症の方の来館支援には、強い課題感を持ちました。
アクセシビリティを近年の調査対象としている鈴村さんは、強く感じた課題に向き合うため、2019年には文化庁の在外派遣研修でニューヨークを訪れ、アメリカの美術館におけるアクセスプログラム、特に自閉スペクトラム症に向けた取り組みをテーマにリサーチを行なった。アメリカでは検査機会の増加などから、年々自閉症スペクトラム症と診断される人が増加しているため美術館のみならず様々なシーンで国を挙げて支援に取り組んでいるそうだ。ニューヨークではアクセシビリティの考え方についても刺激を受けたという。
鈴村 一番お世話になったメトロポリタン美術館では、組織が巨大だということもありますが、アクセシビリティ部門の方が横断的に仕事をしていていました。各部門からアドバイスを求められたりもしていて、アクセシビリティは部門としての取り組みではなく全館的な取り組みであることが意識として染み付いている印象を受けました。「障害のある人向けの取り組みは全ての人のためになる」という考え方は、メトロポリタン美術館のアクセシビリティ担当者がよくおっしゃっていたんです。研修を通じて本当にその通りだと実感させていただきました。
ニューヨークでの研修成果と、これまでに館として蓄積してきた知見を集約して、より一層アクセシビリティの面にチャレンジしたのが、文化庁からの助成を受けて2020〜2021年度にかけて実施された「美術館のアクセシビリティ向上推進事業」だった。1年目の2020年度にはコロナ禍で規模の縮小を余儀なくされながらも、美術館全体でアクセシビリティに取り組んでいくために、ボランティアスタッフに向け、障害のある人の美術館利用についてのレクチャーを実施。目の見えない/見えにくい人向けの鑑賞プログラムや、乳幼児向けのプログラムに取り組んだ。また、研究を活かして国内ではまだ珍しい、自閉スペクトラム症のある人にむけたソーシャル・ガイド(来館支援教材)の制作も行なっている。ソーシャル・ガイドは初めての場所に不安を感じやすく、対人コミュニケーションが苦手な発達障害のある人のために、美術館でのコミュニケーションの習慣や暗黙の了解などを、写真やイラストを交えて平易な文章で説明したもの。来館前に読むことができるように、美術館のウェブサイトで公開している。
鈴村 できるだけ当事者と連携してアクセシビリティに取り組みたいという目標がありますが、ソーシャル・ガイドの制作にあたっては当事者との直接のやりとりが難しかったので、三重県自閉症協会に所属する当事者のご家族と連携して制作しました。美術館のアクセシビリティ向上推進事業の実行委員会には、普段から県内の当事者団体と会議や連絡をしていらっしゃる県庁の障害福祉部局に入っていただいていて、そこを起点にアプローチさせていただきました。
三重県自閉症協会の方からは「(美術館は)これまで自分には利用できないところ、縁がないところだと思っていました」という言葉が聞かれたそうだ。これまでよりも美術館の存在を身近に感じてもらえるようになった。
鈴村 今はまだ私が連絡を取れていないだけで、障害のあるなしにかかわらず、美術館は自分には縁がないとか、利用できないところだと思っている方はいっぱいいると思うので、そういうバリアを一つずつ壊していくことはしなければならないと思います。
取り組み2年目の2021年度には、美術館のアクセシビリティ向上推進事業として展覧会「美術にアクセス!―多感覚鑑賞のすすめ」を実施した。もともとは障害のある人向けに開発してきた教材やプログラムをヒントに、視覚以外の感覚もつかって美術鑑賞を体験できる展覧会だ。各展示室には触地図が設置され、彫刻作品や教材に実際に触れることができたり、音声解説も用意されていた。また、「Piron Piron」というタイトルをもつ絵画作品を、視覚で捉えるイメージ、タイトルから感じられる音感とを組み合わせて味覚を想像してみる、など、視覚だけではない感覚に変換してみる遊び心いっぱいの提案があった。複数の感覚が統合したところに新しい鑑賞の扉がひらけることもあるだろう。
展覧会は、普段は学校連携をメインの仕事としている鈴村さんが、もともとこの時期に所蔵品展の企画を担当することが決まっていたため、鈴村さんの近年の調査対象であるアクセシビリティを企画コンセプトとして提案したことで実現した。
こうして誰もが楽しめる展覧会を企画したことで、日常で障害のある方と過ごすことの少ない人にとっては、多様な人々の美術鑑賞について想像してみる機会になったことだろう。単発のプログラムやワークショップではなく、展覧会として実施できたことで、全館に関わる多くのスタッフが、アクセシビリティ事業に関われる機会を創出できたという点で、なにより意義深い。館全体の経験値を押し上げることができたようだ。会期中には関連ワークショップも開催した。
鈴村 会期中には美術作家の宮田雪乃さんと金光男さんが考案してくれた、誰もが参加できるワークショップ「あなたとわたしのバランス」を実施して、とても好評でした。1日目に誰かが握った粘土の塊と、2日目の参加者が握った粘土を組み合わせて、やじろべえをつくるワークショップで、粘土には名前・年齢・将来の夢のキャプションが添えられています。(障害のある人も含め)顔も知らない会ったこともない人の粘土(握りあと)で、やじろべえが構成されます。展覧会の趣旨「他者を想像する」を体現したワークショップで、アンケートにもこのコロナ禍であっても「人とのつながりを身近に感じるものでした」と書いていただきました。
三重県立美術館がこうして着々とアクセシビリティ事業に取り組んでいける背景には、冒頭でも紹介した「誰もが利用しやすい環境を整えます」という行動指針の存在がある。事業実施の根拠にもなりやすく、館のビジョンをスタッフ皆で共有しやすいそうだ。研修や特別支援学校の受け入れ、展覧会やワークショップと実施と、障害のある方についてより理解できる機会を重ねていく中で、スタッフが能動的・主体的に気づきを得るプロセスをつくれている。アクセシビリティ事業(教育普及事業)の主担当ではない学芸員も、展示ケースの高さや角度といった物理的なハード面、チラシの文字や解説文のわかりやすさについて、より多角的な視点で自己点検できるようになった。
鈴村 課題はまだまだありまして、目下一番の課題は継続性です。美術にアクセス!展で実施した取り組みの全てをいつも実施するのは難しいとは思いますが、何かしら続けていくためにシステム化したいとは思っています。徳島県立近代美術館では、さまざまなバックグラウンドをもつ人がアートイベントサポーターとしてプログラムの運営に携わっていました。長年ユニバーサルミュージアム事業に取り組んでいる館ならではで、さすがだなぁと思って見学させていただいていました。多様な人に運営に関わってもらうことは、継続性にとっても大切だと感じます。
「誰もが利用しやすい環境」の実現には長い年月が必要ではあるが、この取材を通じて、そこに向かう道筋の中ではすでに、美術館を中心とした障害・他者理解が社会に広がっていることを感じることができた。例えば、美術館のボランティアスタッフが豊かな障害理解を得ることは、地域の寛容性をひらくきっかけになりうるなど。事業の持続には、他館の事業担当者との情報共有や連携の機会があってもよいのだろう。着実に歩んでいってほしい。
(取材・文/友川綾子)公開日:2022年2月
鈴村 麻里子大学で西洋美術史を学び、美術館の教育普及室でのインターンを経て、2011年から三重県立美術館に教育普及担当学芸員として勤務。文中で紹介した特別支援学校との連携事業(2015-17年度)や「美術館のアクセシビリティ向上推進事業」(2020年度-)の企画運営に加え、これまでに「空飛ぶ美術館」展(2015年)、「ぼくと わたしと みんなの tupera tupera 絵本の世界展」(2018年)、「シャルル=フランソワ・ドービニー 印象派へのかけ橋」展(2019年)等を担当。
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