「あなたがあなたのままで魅力的」という舞台をつくる―たんぽぽの家 アートセンターHANA(奈良)
演劇をケアの現場に近づけるには?
写真:「HANA PLAY」稽古の様子/撮影:草本利枝
「障害のある人の芸術文化活動の支援」と言ったときに、多くの人にとってイメージがしにくく、ハードルが高いと思われている分野の一つは、演劇ではないだろうか。たしかに創作には手間がかかる。演技は? セリフは? 台本や演出は? 稽古場は? お客さんは?などなど考えなければいけないことは山ほどある。
オンライン劇場「THEATRE for ALL」をご存知だろうか? 環境や身体の違いから劇場を訪れられなかった人たちが別の方法で“劇場”にアクセスできることを目指した取り組みだ。ここで公開された、障害のある人たちによる演劇作品が話題を呼んだ。奈良県の「たんぽぽの家 アートセンターHANA」の演劇プログラム「HANA PLAY」から生まれた『僕がうまれた日』だ。構成・演出を手がけた佐藤拓道さんに創作の様子や創作に込めた思いなどについて聞いた。どこでも、誰でもできるやり方ではないかもしれないが、その視点には惹きつけられる。
アートセンターHANAを運営するたんぽぽの家は、新しい視座で障害者アートを見直す芸術運動「エイブル・アート・ムーブメント」や、障害がある人たちの詩にメロディを付けてみんなで歌う「わたぼうし音楽祭」など、日本において文化芸術による支援を牽引してきた施設の一つだ。2004年にオープンしたアートセンターHANAは、すべての人がアートを通じて自由に自分を表現したり、互いの感性を交感することができる、日本初の障害がある人たちのアートセンター。建物にはスタジオ、ギャラリー、カフェ&ショップ、インフォメーションセンター、ミーティングルームが備えられている。
佐藤拓道さんは2011年にたんぽぽの家に就職し、利用者の支援計画を取りまとめるサービス管理責任者を5年以上務めている。またアートセンターHANAの副施設長であり、演劇とダンスのプログラムを担当している。そして舞台俳優の顔も持つ。
佐藤 演劇プログラム「HANA PLAY」は毎週1回、火曜日に行っています。スタッフは僕と近畿大学舞台芸術専攻出身の藏元君、パートの女性スタッフの3名体制です。メンバー(利用者)は当初10人でしたが、必ずしも演劇だけが目的ではなく、なんとなくだったり、電動車椅子を自由に操作できたり言葉をうまく話せるかもしれないというリハビリの目的だったり、参加の理由はそれぞれです。ただ上演を何回か経て、お客さんやスタッフが喜んでくれたこともあり、皆さん楽しくやれるようになってきたように思います。つくり手としては演者にわかりやすく、お客さんにもわかりやすく、でも幅広い層に面白いことをやっているねと思ってもらえるようにと心掛けています。
障害のあるメンバーの存在自体が魅力的に見える演劇
たんぽぽの家では、障害のある人がパフォーマンスをすることは日常のケアにも生きてくるのではないか、という理由で早くから演劇やダンスに取り組んできた。
佐藤さんが演劇を担当し始めた時は、外部の演出家に来てもらって作品づくりをしていた。誰もが知っている昔話をデフォルメしたり、稽古場での即興を集めたりしながら作品を立ち上げていた。そんな中、佐藤さんは「メンバーの存在自体がいかに魅力的に見えるか」を考え、彼らが実際に体験したエピソードを聞き取り、自ら演じるスタイルで作品づくりを行なっている。この手法は、佐藤さんが気鋭の演出家との作業から学んだものだ。
佐藤 マームとジプシーの藤田貴大さんが演出する市民参加型演劇で、市民の皆さんの体験談を聞き、それを構成していくやり方をしていたんです。これがいいなあと思ったのは、作品が自分のものに思えるところ。デフォルメはされていても、一部分は自分の血肉でもあるからです。試しにメンバーにいろいろなエピソードを聞いたらめちゃくちゃ豊かで面白かった。何より話す様子が楽しそうだったんです。
以前、岡田利規さんが率いるチェルフィッチュの作品に出演したときには、台本のセリフを追うのではなく、セリフの前に風景を捕まえにいってほしいと言われたことがあります。風景をイメージすることで、話そうとしていることが仕草として表出してくるからと。俳優は台本から風景を創造しますが、メンバーにとっては難しい面がある。けれど本人が見た風景や体験を語れば、イキイキとした身体の動きが生まれる。身体に麻痺があると縮こまったり、手が上がったりするのですが、それも含めて、楽しく話しているときの手の動き、説明しているときのゆっくりとした仕草がすごく魅力的だと思うんです。
そうやって生まれたのが『僕がうまれた日』(2018年12月)だ。メンバーの実体験に、2015年に亡くなったHANA PLAYのメンバー・松本圭示さんのエピソードを加え、フィクションと現実を行き来するような物語をつくった。メンバーさんの個性が際立ち、ときに笑いが会場を包み込んだ。そして2021年12月には『贅沢な時間』を上演した。物語の軸は、日常生活に介助が必要な上埜英世さんのエピソードだ。彼女はふだん介助を受けるため、一人になる時間がほとんどないが、偶然そのときは訪れた。目の前にあった冷蔵庫までなんとか移動し、初めて自分の手で扉を開け、中に入っていたエビ風味のおかきを食べた感動、美味しさと言ったらなかった。このエピソードが佐藤さんの中に印象深く残っていた。
佐藤 おかきを食べるのに1時間かけるなんて、僕らにとっては「そんな大変なことを」と思うかもしれない。でも自分で冷蔵庫を開けられたことを喜ぶ上埜さんから、自分の力で成し遂げた1時間の大切さを教わり、時間に関する話を集めた作品をつくろうと思ったんです。『僕がうまれた日』は上演まで2年かかりましたけど、今までの積み上げがあったおかげで『贅沢な時間』は1年以内でつくることができた。それはメンバーと僕らの間で「これ、面白いね」が共有できているからだと思います。もっと大事な点は僕らはメンバーの生活の様子、好きなものを知っていること。外部の演出家さんが来ても、限られた時間では、なかなか彼らの魅力を見出すのは難しいと思うんです。ぱっと見の面白さをチョイスしてしまうと誤解を招く可能性もある。本当に彼らが面白がっているのか、不本意ながらやっているのかを見極めないといけない。そういうものを知るためのダラっとした時間も大事なんです。だから稽古も楽しめるものをやるようにしていますし、「次もやろう!」ではなく「次はどうする?」という姿勢をとっています。
あくまで福祉施設の取り組みとして
アートセンターHANAには、ケア、アート、ワーク(商品開発など)のチームがある。『贅沢な時間』では制作をアート、受付をワーク、メンバーさんの担当をケアと、5名のスタッフが関わった。さらに近畿大学の学生さん、まったく演劇に接点がなかったスタッフも、カフェを営業しよう、特製クッキーを販売しようとアイデアを提案してくれた。
創作面では佐藤さんが音響、照明、舞台装置のプランを立て、本番では制作費の関係から音響、照明を自ら操作し、出演もした。メンバーのうち7人は車椅子で、自走できない人もいる。佐藤さんが立ち位置に連れていったりもする。とにかく大忙しなのだ。
佐藤 福祉の現場って突発的なことが多いじゃないですか。他の現場の人手が足りなくてスタッフが稽古にこられなくなったりもする。だからある程度、僕一人で回す想定で作品をつくっています。人手があればもっと挑戦的な作品ができるかもしれない。でもそこは劇団ではなく福祉施設ですから、臨機応変に動かないと他の現場がうまく回らなくなる。体力的に大変な時もあるけれど、メンバーが不安にならないようにしなければいけません。だから常に説明をして、前向きになるような言葉をかけています。どこの演劇でもいろいろなことが起こる。ハプニングすらも受け入れて面白がることが大事だと思っています。
見た人が障害について自分で掘り下げるような作品を目指す
佐藤さんには、演劇をやるにあたり、もう一つ大切にしている思いがある。それは高校時代に観た、佐藤真監督のドキュメンタリー映画『阿賀に生きる』に起因する。ご両親の出身地である新潟の第二水俣病を題材にした映画だが、直接的に水俣病の話は描かれない。しかし茶碗を持つ歪んだ手が、その震えが生活の中に水俣病が入り込んでいる様子をリアルに伝えてきた。
佐藤 障害のある人が演劇に出た時に、その苦労だったり、うまくいかなさがどうしても強調されてしまう。そうではなく、障害の有無に関わらず、こういう経験をしているんだということを見て、知ってもらうことで、お客さんに生きること、障害が生活の中でどんな影響を及ぼしているかが伝わると思うんです。障害は生活の中にポッとあるわけではありません。僕も足に障害がありますけど、幼いころはそれが当たり前だったので、困り事を意識していなかったんです。だから傍らから「大変ね」と言われると「そんな大変じゃないんだけど」となんとも言えない気持ちになった。障害があることは困り事の側面だけじゃない。それを伝えるには「障害がある人はこうです」という描き方ではなく、彼らが日常をどう過ごしているかを見てもらう方がより伝わりやすい。見る人自身が「これどうなんだろう」と掘り下げるような伝え方をした方がいいと思うんです。それはやりながら気づいたことですけど。
実は施設に入ったばかりのパートのスタッフや実習生にも役者として舞台に立って、メンバーの役を演じてもらうこともあるという。
佐藤 『僕がうまれた日』では、亡くなった松本さんの役を、彼のことを知らない人に演じてもらいました。そうすると「この人はどうやって暮らしていたんだろう」と考えるきっかけになると思うんです。ケアだけをやっている人、演劇をやったことない人と一緒にやることで、僕にとってもいろいろな発見がある。
演劇の技術を身につけなくても演劇はできる、あなたがあなたのままで魅力的であるという舞台を僕がコーディネートして、うまく見せられたらいいなと思います。発声ができなければいけない、しっかり立てていないといけないと思われがちですが、そこじゃないところで舞台に立てる演劇があっていいじゃないですか。
たんぽぽの家には、障害があるからあきらめるのではなく、障害のある人がやりたいことをどうしたら叶えられるか、スタッフが同じ目線で考え、実施してきた文化がある。昨今はさまざまな制約があって難しいが、かつては先輩スタッフがメンバーとウォータースライダーを滑ったり、雪山にスキーに出かけたりもしていた。佐藤さんもその姿勢を尊敬し、受け継いでいると言う。ある先輩から「みんなが演劇をやれるようにならなきゃいけないというのは違う。彼らができる演劇は何か、彼らとやったことが演劇になったらいい。演劇に近づくのではなく、演劇を近づければいいんじゃないか」と言われた言葉を胸に、今日も試行錯誤している。
(取材・文 いまいこういち)
公開日:2022年3月
たんぽぽの家アートセンターHANA副施設長。サービス管理責任者。障害のあるメンバーのケアを行いながら、パフォーマンスプログラム(演劇、ダンス)を担当。制作、運営を行う。俳優として、湘南の劇団P.E.C.T、チェルフィッチュ、リリパットアーミーⅡ、遊園地再生事業団、バストリオ、マームとジプシーなどさまざまな劇団の作品に出演している。
◆アートセンターHANA ウェブサイト
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